424 印象派のセーヌ河

先日更新いたしました当店の「パリ レポート」、もう、ご覧いただけましたでしょうか。

その中でも、特にお読みいただきたいのが、フランス、セーヌ河を描いた印象派画家達の物語「印象派のセーヌ河」です。

この物語をお書きになったのは、東京にお住まいの坂田 正次さん。

今日日、フランスやパリをテーマにした本や文章は星の数ほどあると思いますが、坂田さんのお書きになる文章は本当に造詣が深いと思います。

例えば、「No.14 セーヌ河岸のオルセー美術館」の冒頭にある記述。

「もともとは1804年に最高裁判所として建築されたのですが、1871年のパリコミューンのときに火災に遭い、以来、廃墟として放置されていました。その後、1900年のパリ万博開催のとき、オルレアン鉄道のパリでの終着駅にする構想が浮かび上がり、1897年に、オルレアン鉄道会社が国から土地を買い取り、ホテルを備えた近代的な駅の建築が開始され、1900年7月14日にオルセー駅が誕生しました」

オルセー美術館の建物が、以前は鉄道の駅だったというお話は有名ですが、もともとはあそこに最高裁判所があったなんて知りませんでした。

また、印象派画家たちの画家としての活動やその作品についてだけでなく、彼らの私生活について触れている記述も、楽しく読むことができます。

例えば、「No.19 ジベルニー モネのレシピ」の中では…

「モネの食生活は、フランス人らしい食通な面をよく表しています。食事にも精力を投入し、創作活動に望んだのです。妻のアリスとモネ自身も料理に使った厨房のあるダイニングルームは、当時のままジベルニーの家に再現されています」

モネの作る「カワカマスの白バターソース」なんて、どんな味だったのでしょうね?
ん~、食べてみたい!

また、お料理が好きならば、当然ワインも…。
モネはどんなワインが好みだったのか、そこから想像は広がります。

さらに物語の中には、フランス各地を旅する坂田さんご自身の様子も記されていて、そこから彼のお人柄を知ることもできます。

例えば、「No.1 セーヌの源へ」の中のこんな件(くだり)…

「これで本当にフランスで運転できるのかしらんと思えたネズミ色のみすぼらしい大判の厚紙の国際運転免許証を交付してもらい、埼玉県桶川の本田運転訓練センターで左ハンドル車の運転訓練を受けて…」

…と、日本を出発する前に、外国車の運転まで練習してしまうあたり、こんな方、なかなかいらっしゃいません。

また、その他にも…

「アンカレッジ経由の飛行機でパリに入りました。アンカレッジでは今となっては懐かしいアラスカうどんを食しています」

「河口近くのセーヌをまたいで架かるノルマンディー橋を渡ったときの絶景は鮮明に記憶に焼き付いたままでいます。セーヌの水面までの高さもブルってしまうほどあります」

…などなど。

なお、この坂田さん、時々フランスにいらしては、フラフラ~とあちらこちらを旅していらっしゃるようです。
私くしは2度、パリでお会いしましたが、カフェのテラス席に座り、一緒にワイングラスを傾けながら、あれやこれやと旅のお話を聞かせていただくのが本当に楽しいのです。

また、坂田さんのお書きになる文書をとても楽しく読むことができるのは、その中に共感することのできる部分が多いからではないでしょうか。

「パリで本物のセーヌ河に接したとき、その流れのゆるやかさに安堵感のようなものを感じ、パリの歴史の中での役割の大きさなどを認識したときでした」

皆さまも、是非、お読みになってみてください。
そして坂田さんとご一緒に、セーヌに沿って旅してみませんか?