020 印象派のジベルニー
Copyright:坂田 正次
印象派のはじまりは、セーヌ河口のルアーブルの早朝を淡い色調で表現したモネの「印象日の出」でありました。
この印象派のセーヌ河のシリーズの最後としては、そのモネがついのすみかとしたセーヌ河畔のジベルニーの「モネの家」でしめくくることにしたいと思います。
印象派画家たちが残したものは、今日鑑賞しても本当に印象的で新鮮な感覚の多くの絵画ですが、画家の暮らした生活の様子と画題を構成する風物をそのままじかに見て感ずることのできるのがジベルニーのモネの家です。
1つの時代を構成させた印象派、印象主義を肌で感じることができるでしょう。
モネは、ジベルニーの地で花で絵を描くように花を植えて庭を作り、睡蓮などを描きました。
その庭の様子は、時刻、天候、季節によって微妙に変化して行きました。
モネの絵画は時々刻々と移り変わる光による色彩をとらえたのです。
1893年頃から造り始めた日本庭園には、日本から取り寄せた桜、紅葉、牡丹などの花が植えられました。
柳や竹などの木立もつくられ、近くの小川からの水が小さな池にそそぎ、広重の亀戸天神を描いた浮世絵にあるような太鼓橋がその上に架かります。
池には睡蓮が育てられ、それを題材とする睡蓮の連作は1897年頃に構想が練られ、1899年頃から1926年12月05日に86歳で亡くなる直前まで創作は続きます。
モネが亡くなった後、モネの家は息子のミッシェルが相続し、孫娘のブランシュ オシュデが住んでいました。
第2次世界大戦でかなり破壊されてしまった家と庭園は、1966年に芸術アカデミーに寄贈され、モネの友人の庭師のジョルジュ トリュフォーの協力により修復作業が行われて、モネが住んでいた当時と同じ状態に再現されています。
ピンク色の壁にグリーンの縁窓の家の中には、広重、北斎、写楽、歌麿など日本の浮世絵が沢山飾られてもいます。
そんなモネの家が今でも、そして将来的にも存在し続けてくれることは嬉しいことです。
欲を言えば、セーヌ河がもっときれいになり、カワカマスが捕れるようになって、ジベルニーでモネが食した「カワカマスの白バターソース」をセーヌ河産で味わってみたいものです。
そして、隅田川にも浮世絵が描かれた当時に捕れたという白魚が戻ってきてほしいとも思っています。
シリーズの最後は、食いしん坊な話になってしまいましたが、安心して河川からの恵みをいただける環境にしてゆくために、印象派絵画と浮世絵に描かれているようなセーヌ河と隅田川の画像情報が何かのアクションのきっかけになれば喜ばしいことだと考えております。
わりと長い連載になりましたが、お読み下さいまして、ありがとうございました。
感謝申し上げます。
白睡蓮 モネ