016 日本の浮世絵と印象派2/2

Copyright:坂田 正次

ゴッホは炎にも似た感動によって浮世絵と対峙したようです。
1888年、浮世絵にあるような明るい光を求めて南仏アルルへ向かいます。
そのアルルで広重、英泉などの浮世絵からの影響を自分自身の絵画づくりへと溶け込ませて行ったのです。
ゴッホは弟テオに宛てた手紙に「僕の仕事は、皆多少日本の絵が基礎となっている」と書いています。

ゴッホの浮世絵の模写の中には、日本人にも評価の高い、広重の名所江戸百景の中での名作「大はしあたけの夕立」(あたけ:暴れる、当たり散らすの意)があり、それをパリで見つけたゴッホの驚きと感動が目に浮かぶようです。

1886年、33歳のゴッホがパリに住む画商の弟テオのところに来た頃、ロートレックやゴーガン、ルノアール、モネたちの話題の中心は日本の浮世絵のことでした。
1890年にはパリで大規模な浮世絵展も開催されています。
印象派画家たちは、新たな画法の創造の素材として浮世絵を見いだしたのです。

ロートレックは、印象派や浮世絵などの影響を受けながら、斬新な構図によりキャバレーやキャフェ、娼家などをテーマに作品を描き、1つの時代を築き上げています。

ゴーガンもまた、強く浮世絵の影響を受けた画家の1人です。
ゴーガンの縁取りと原色による面塗り画法は、浮世絵的であり、ブルターニュ時代にはバックに浮世絵をかけ、手前に自作の壷を描いた静物画を描いています。
ゴーガンは1903年に南太平洋のタヒチ島で終焉を迎えたのはご存じのとおりです。

この他、ドガ、カサット、モネ、ルノワール、セザンヌなどが日本の浮世絵に魅了された画家として知られていますが、日本人も対応するような形で印象派画家たちを師とする動きがみられます。

「わだば、日本のゴッホになる」と言い続けた棟方志功はよく知られた存在ですが、パリで絵画の修行をした梅原龍三郎は、ルーブル美術館でのルノアールの模写を続けるうち、ルノアールに師事しています。
モンマルトル近くのルノアールの家近くに住み、ルノアールの写生旅行にも同行しました。

19世紀末から20世紀初頭のパリには、安井曽太郎、黒田清輝、安井曽太郎、有島生馬などが滞在し、一時期パリの日本人画学生は300人をこえるほどでした。
初期の日本の西洋画家は、印象派やそれにつづく後期印象派と呼ばれる人々が活躍するフランスの地で修行をしていたのです。

雨の大橋 ゴッホ
雨の大橋 ゴッホ