015 日本の浮世絵と印象派1/2

Copyright:坂田 正次

フランスの首都のパリにセーヌ河とセーヌ河を映し出す印象派の絵画があり、日本の首都東京には隅田川と隅田川の風物を描いた浮世絵が存在します。
「印象派のセーヌ河」のシリーズの目的の1つとして、セーヌ河と隅田川の比較文化があるのです。

そのセーヌ河と隅田川の景観や環境問題などで啓発し合おうと、ジャック シラク パリ市長、鈴木俊一 東京都知事の時代の1989年にセーヌ河と隅田川は友好河川の締結を行いましたが、それよりずっと以前の印象派の画家たちが活躍していた時期に、日本の浮世絵と印象派絵画という芸術の世界での啓発がされていました。

これは、よく知られている19世紀末から始まったジャポニスムブームのときに、日本の浮世絵の技法が印象派画家に取り入れられたというものです。
また、20世紀初頭のパリで印象派絵画を学ぶ日本人の数も多かったようです。
ジャポニスムブームは北斎のイラスト集とも言うべき北斎漫画がまず注目されたことにより始まったとみて良いでしょう。
そして、1867年と1878年のパリ万国博覧会での日本の文物の紹介の中にあった浮世絵が、当時、先進的な画家たちであった印象派画家へ、新鮮な画風の要素を吹き込んでいったのです。

江戸から東京への変遷の中を流れてきている隅田川を描いた浮世絵、そして、まだパリ地域への人口の集中が始まっておらず、きれいな流れを保っていたセーヌを描いた印象派絵画。
2つの芸術が双方の河川の再生方法を見いだす参考になれば嬉しいことです。

マネ、ドガ、ルノワール、モネ、ゴッホ、ロートレック、ゴーガンなどが浮世絵の影響を受けた画家として知られています。
葛飾北斎、安藤広重の双璧をはじめとする絵師の作品を見た印象派画家達は、見たこともない東洋の国にすごい画家がいるぞと驚いたのです。

北斎などが活躍した江戸時代が終わり、御一新後の世の中で浮世絵の存在は、日本においてはほとんど忘れ去られた存在となっていました。
一般家庭にあった浮世絵は、ふすまの修理用の紙に使用されたり、陶磁器の輸出品の包装にされたりして多くが消えて行き、残された浮世絵も沢山、海外へと流れました。
パリ万博の前後には、フランスでかなりの低価格で販売されました。

それを大量に買い求めたのが、印象派画家達だったのです。
ゴッホ、モネの浮世絵コレクションの多さは、よく知られています。
巨匠の印象派画家たちに、強烈な美的な衝撃を与えたのが浮世絵でした。
ジャポニスムブームでの浮世絵の評価の大きさに、これまた驚いたのが日本人たちそのものです。
日本での浮世絵に対する評価研究が始められたのがこの頃のようです。

富嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎
富嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎