013 シスレーのセーヌ河3/3 モレ シュル ロワン
Copyright:坂田 正次
シスレーは印象派の画家たちが最初に集まった、パリの東南東のフォンテーヌブローに近いモレ シュル ロワンで終焉を迎えています。
地名の一部になっているロワン(Loing)川は、ヨンヌ川の次にセーヌ本流に流入する流路長約110kmの中規模の支流で、シスレーが最後に住んだモレ シュル ロワンは合流点の近くに位置します。
モレ シュル ロワンは、宝石箱をひっくりがえしたように美しい街だと形容されますが、シスレーがモレの街を描くことによって、それが人々に認識されたからです。
ゴシック様式の教会とアーチ形の石橋。
その下を流れる周囲の光と大気を映すロワン川、シスレーが描く極く平凡な風景。
どの色も他と競合しない軽やかなタッチが、全体を柔らかく包みます。
日本のわび、さびにも似た雰囲気もあるようです。
フランス国籍の取得を望んでいたシスレーの夢は叶えられず、英国人として亡くなりました。
DNAレベルでシスレーの絵画を分析した場合、あくまで落ち着き保守的な思考をする英国人そのものの描き方と見ることができるのではないでしょうか。
シスレーは英国人の印象派画家だったのです。
シスレーは、 終生フランスの風景を描き続けた最も印象派らしい画家です。
評論家のタヴェルニエに向って、シスレーは言います。
「空が、ただの背景でしかないなどということは、ありえないことです。私は、風景画のこの部分に、特に力をそそぎます。なぜなら、私が、そこに与える重要性を、わかってもらいたいからです。1枚のカンヴァスを描き始めるとき、私はいつも、空から始めます」
シスレーは無の境地から生まれる一瞬の透明な時を見いだしていたのです。
1899年、シスレーは恵まれることのなかった一生を閉じましたが、その次の年、「ポール マルリーの洪水」が、ある収集家に、45,000フランという高額で買い取られました。
若き日のアンリ マティスは、印象派の巨匠ピサロにこう訪ねたことがあります。
「印象主義者とはどんな画家ですか?」
「決して同じ絵を描かず、常に新しい絵を描く画家の事です」
「典型的な印象派の画家は誰ですか?」
ピサロは一言、こう答えました。
「シスレーです」
生前のシスレーは言います。
「私はモレやその周辺に12年近く暮らして来た。高いポプラの樹々の立ち並ぶ森に覆われたモレの地にあって、私の芸術が深化したことは、疑う余地がない」
シスレーの作品を人々が理解したのは20世紀に入ってからでした。
自分が生きた時代を反映する事物を描くことはせず、澄みきった心を通して見た風景だけを描き続けた画家だったのです。
だから、常に新しく新鮮なのです。
シスレーの見ている風景を映し出すセーヌの水面のように。
モレ シュル ロワン シスレー