012 シスレーのセーヌ河2/3 ポール マルリーの洪水
Copyright:坂田 正次
シスレーは、1874年の第1回印象派展から計4回、自分の作品を出展しています。
モネやルノワールなどの作品は最初、多くの非難と嘲笑を受けましたが、回を重ねるごとにそれは賞賛へと変化してゆきました。
しかし、シスレーの静かで控えめな作品は、ほとんど注目されなかったのです。
さらにシスレーは、普仏戦争(1870~1871、統一前のドイツ プロイセンとの戦争でフランスが敗戦し、ナポレオン三世が退位、フランスは賠償金50億フランを支払う)の影響で家業が傾き、自身の生活は今までのような裕福なものではなくなって行きます。
父は1871年に亡くなり、家族はセーヌ河下流のルーヴシエンヌに移りました。
そんな中で描かれたのが、今回ご紹介する「ポール マルリーの洪水」です。
パリの西方へヴィルヌーブ ラ ガレンヌ、シャトゥー、ブージバルとたどるセーヌ河の岸辺にポール マルリーという町があります。
ルーヴシエンヌに近い所です。
1876年の冬、ヨーロッパの雨期にあたる季節にここは、セーヌ河の水が溢れ、大洪水に見舞われました。
シスレーの「ポール マルリーの洪水」は災害を描いたものではありません。
青い空とセーヌの水とが映し出す日々の情景とは違う世界を静かに見つめた、風景画家のとぎすまされた感受性による作品です。
災害という緊迫感はどこにも感じられないのです。
洪水の前にもポール マルリーの風景は何度か描かれ、この作品は、印象派の目指す自然の変容がもたらす光と影と色彩を捕らえようとしたもので、洪水の前、水浸しの状態、水が引いてゆき青空が見え始めるときなど、セーヌ河の洪水の連作の1枚となったのです。
「ポール マルリーの洪水」が印象派の傑作と称賛されるのは、シスレーが亡くなってからになってしまいます。
シスレーは印象派の巨匠です。
それを示す最近のエピソードとして、次のような報道があります。
第2次世界大戦中、ナチスに接収された後に行方が分からなくなていたシスレーの「春の太陽 ロワン川 1892」が日本人コレクターから62年ぶりにフランスの元所有者でユダヤ人銀行家、故ルイ イルシュ氏の遺族に返還され、2004年11月03日、ニューヨークのオークションに出品されて、約219万ドル(約2億3,000万円)で落札されたというものです。
日本人コレクターからの返還は無償だったようですが、略奪絵画の売却例はよくあることのようです。
金額のことはあまり話題にすべきではないけれども、シスレーの巨匠としての位置づけを客観的に示すものの1つに上げられるでしょう。
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