011 シスレーのセーヌ河1/3 Villeneuve la Garenne sur Seine

Copyright:坂田 正次

アルフレッド シスレー(Alfred SISLEY、1839~1899)を今回から紹介して行きます。
シスレーは1839年パリに生まれた英国人です。

シスレーはパリで造花の輸出を行う実業家の子息として裕福な青年期を過ごしました。
18歳で家業の修行でイギリスへ渡ったとき、ターナー、コンスタブルなどイギリス風景画家の影響を受け画家を志し、帰国後の1862年にシャルル グレールという画家の絵画塾に入りルノワール、モネ、バジールらと知り合い、屋外制作を開始しています。
空のシスレーと言われるその作風は、透きとおるようにのびやかな青い空に浮かぶ白い雲や、澄んだ水をたたえて流れる運河と川の情景などをキャンバスに写し取ります。
今回紹介するシスレーの1枚の画は、1872年に描かれたヴィルヌーブ ラ ガレンヌ シュル セーヌ(Villeneuve la Garenne sur Seine)です。
描かれているのは、パリの北部近郊の街でパリを出たセーヌ河が1度目の大きな蛇行をし、2度目の蛇行が始まろうとする地点です。
セーヌ河の名の由来はこの蛇行を意味するガリア語のSigunaをフランス語読みしたシーナであると言われています。
ヴィルヌーブ ラ ガレンヌには、セーヌ河の中州があり、画では中州側から陸側を描いています。
もやう舟の舳先側がセーヌ河の上流側と考えられます。

シャルル グレール(Charles GLEYRE、1808~1874)の画塾にシスレーやモネたちが集まってきていた理由は、グレール自身はサロンの趣味に応じて美化された絵画を描いていたのですが、教え子たちには自由を与え、自分独自のスタイルで描くように言っていたことと、自分の画風をあまり強要しない温厚な性格であったからのようです。
また、新たな絵画づくりを模索する後の印象派仲間と話ができることもその理由の1つでありました。
このころのシスレーは、父親の会社経営も順調に行っていて、生活面での心配事などなく、気楽に絵画制作に打ち込める状態でした。モネやルノワールを誘ってフォンテーヌブローの森の風景を描きました。
印象派画家たちの出発地がこのフォンテーヌブローであり、シスレーの最も好きな風景の存在するところだったのです。

シスレーは1865年にサロン展に初出品し、同じ年にマリーと結婚します。
この頃からサロンのやり方に疑問を持ちはじめ、パリ クリシー通りのカフェ ゲルボワの会合に加わり印象派の活動に参加してゆくのです。

ヴィルヌーブ ラ ガレンヌ シュル セーヌ シスレー
ヴィルヌーブ ラ ガレンヌ シュル セーヌ シスレー