007 第1回印象派展パリ1874年

Copyright:坂田 正次

いよいよ今回は、印象派の誕生のときのお話しです。
印象派誕生の地はセーヌ河と関連の深いフランスの首都パリです。
主役の絵画は「印象日の出」。
あまりにも有名な作品です。

第1回の印象派展は、1874年パリ カプサン通りにある写真家 デッサン画家 作家そして気球乗りのナダールの写真スタジオを会場に開かれました。
サロンの古い体質に嫌気がさしていることに加え、写実主義の手法による絵画は、1839年に発明されすでに普及していた写真がその代わりなるのだということを、当時を生きる若い画家たちは言いたかったのかもしれません。

印象派展は、モネやルノワール、ドガ、ピサロ、セザンヌなどが参加し、作品を発表した「画家、彫刻家、版画家無名芸術家協会展」という名称が本来のものなのですが、それに出品されたモネの「印象日の出」を見た美術記者ルイ ルロワが風刺新聞のシャリ ヴァリ誌に「印象派展覧会」というタイトルで、印象日の出のことを書きかけの壁紙の方が、よっぽどましだという内容の嘲笑記事を載せたのです。
このルイ ルロワの「印象日の出」の印象の文句を使いタイトルとし、冷笑した記事が、モネやルノワールのグループを「印象派」と呼ぶきっかけとなりました。
平凡な記者のルイ ルロワは、この批評で後世に名を残すことになります。

1873年に制作された「印象日の出」は、朝もやの中に眠る港に昇る太陽が中央やや右に描かれ、1艘の小舟が櫓をきしませながら漕ぎ出て行き、そのあとに小さな波がゆれ動き、きらきらと赤く染まる様を描いています。
とらえようのない筆の動きの中に、朝もやを通してそそいでくる日の出の光をとらえた画面からは、小舟とそれがたてる波の振動さえ感じられるようです。

セーヌ河口のルアーブルの家の窓から制作したこの絵の、展覧会のカタログに載せるための題名を、カタログ作りを担当していたルノワールの兄弟のエドモンが、「日の出」ではタイトル的に単調すぎると不満をもらしたため、モネは穏やかに「じゃあ、印象(Impressions)とつけたまえ」と言ったという。
モネが後に語ったところによれば「カタログに載せる題名をたずねられましてね、この絵をルアーブルの実景とは正直いえないものだから、印象といれたまえと答えたわけさ」ということであった。
偶然出た印象という名は、今までの古い画法から脱却し、新しい手法の絵画を誕生させてゆくきっかけとなったのです。

印象 日の出 モネ
印象 日の出 モネ