002 セーヌ河岸の町々

Copyright:坂田 正次

セーヌ河の本流の岸辺には、静かで清潔感のあふれるシャチヨン シュル セーヌ、景色が特によいトロワ、パリに近いフォンテーヌブロー、パリを過ぎてからは、古都ルーアン、そして河口のオンフルール、ル アーブルと魅力ある地が展開しています。

また、セーヌの支流には過去のパリ市内での洪水の原因の1つとなった暴れ川のヨンヌ川、シャンパーニュを育んで流れるオワーズ川、ジベルニーの近くの小さな支流のエプト川など26あります。
このパリ盆地を流れる支流たちがセーヌの豊富な本流の水を支えているのです。
そのようなセーヌに沿った場所で印象派絵画は揺籃期を迎え、開花して行きました。

印象派誕生前夜の1830年前後からのフランス画壇では、コローがロマン主義でもなく写実主義でもない、その双方を融合させた形の叙情的な風景画を描いていました。
また、同じ時期に、パリに近いセーヌの岸辺のフォンテーヌブローの森で写生し小さなバルビゾンの村に集ったいわゆるバルビゾン派の画家たちは、自然の情景を大気と光線とで描きあげ、フランスの自然主義風景画の土台を築き、その後を継ぐような形でより若い世代の画家たちが海の情景や都市の景観を印象のままに表現することに努力を注いでいったのです。
この若い世代が印象派と呼ばれる画家になって行くわけです。

モネたちの印象主義は、1860年代中頃にフォンテーヌブローの森で生まれています。
バルビゾン派と同じ場所を描いても、その画風は大きく違っていました。
バルビゾン派のロマン主義的な自然への見方に対して、モネとその友人たちは孤独な田園の世界より活気のある郊外の行楽地を好んで描き、ナポレオン三世とオースマンによって造られた新しいパリの町並みや鉄道なども描いています。

印象派の名がまだ生まれていない頃の印象派画家たちに、実験の場を与えたセーヌ河に沿うフォンテーヌブローの森から、セーヌの河口のル アーブルあたりまでが印象派がセーヌ河をキャンバスに写し取って行く場となって行くのです。

フォンテーヌブローの森 ディアズ
フォンテーヌブローの森 ディアズ