パリに住む 市バスにまつわるいい話

341 夕日に照らされて

僕は、市バスに乗っていた。
パリの街の東の外れにあるポルト ド ルイイ(Porte de Reuilly)と、エッフェル塔の立つシャン ド マルス公園(parc du Champ de Mars)とを結ぶ、87番のバスだ。

平日の夕方、1日の仕事を終えて人々が帰宅する時間だったが、バスの中は思いのほか空いていた。

バスティーユの広場を回ったそのバスはアンリ キャトル大通りへと進み、シュリー橋を通ってセーヌ河を右岸から左岸へと渡った。
そして、パリ第6、第7大学の前を通り過ぎ、ほどなく右折して、エコール通りへと入った。

今日は朝から、目まぐるしくお天気が変わる1日だった。
きれいな青空だと思っていたらにわかに雲って雷が鳴ったり、雨宿りにスーパーマーケットに入ったら、出てきた時にはすでに雲間から青空が覗いていたりした。

そして、夕方のこの時間になって、空は気持ち良く晴れ渡った。
大西洋から渦を巻いて近づいてきた大きな雲の塊が、南側の高気圧に押し上げられ、少しだけ北へと移動したためだ。

バスは引き続き、エコール通りを東から西へと向かって走っていた。
そして、コレージュ ド フランス(College de France)の1つ手前のバス停に停まり、数人が降りていった。

バスは降車口を閉じ、ふたたび、ゆっくりと走り始めた。
しかし、その直後に減速し、そしてもう1度、停まった。

バスに乗り合わせていた人たちは、何事かとキョロキョロと辺りを見回していた。
するとバスの右斜め前方、歩道の上に、おじいさんとおばあさんが立っているのが見えた。

バスの運転手は、2人の、そのバスに乗りたいという意思表示に気がついたのだろう。
すでにバス停からは離れているが、彼らを乗せるために、もう1度停車したのだ。

歩道に立った2人は、二言、三言、何かを話しているようだったが、彼らの声は聞こえなかった。
しかし、バスが停まってくれたことに対する喜びが、その表情からは見て取れた。

そして、バスの乗車口が開き、おばあさんが乗ってきた。
しかし、おじいさんは、そのまま歩道の上に立ち続けた。
どうやら、バスに乗るのは、おばあさん1人のようだ。

おばあさんはバスの運転手に、「ありがとう、お優しいのね」と、短くお礼を言った。
そして、傍の手すりにつかまりながら乗車口の方を振り返り、もう一方の手で、おじいさんに向かって小さく手を振った。

おじいさんは引き続き歩道の上に立ち、穏やかな表情のまま、おばあさんを見ていた。

乗車口の扉が閉まり、バスはふたたび、ゆっくりと走り始めた。

ほの暗いバスの中とは対照的に、1人歩道の上に立つおじいさんを、少し傾き始めた6月の夕日が、明るく照らしていた。